今回は「国立大学と文系学部」天野郁夫氏(東京大学名誉教授/高等教育論)です。
主なポイントは以下のとおりです。
- 高等教育の歴史の大きな転換点になるかもしれない政策変更が、一方的に押付けられることに危惧の念を抱かずにはいられない。
- 帝国大学は言うまでもなく、官立の専門学校群もまた、実用的な人材育成に特化していた。
- 高等学校を大学予科から高等普通教育=「教養教育」の場へと転換させようとした大正期は、大きな転換の時代
- 戦時体制時には、ふたたび実用的な人材、それも理工系人材の養成重視への大きな揺り戻しが起こった。
- 敗戦後、米国教育使節団の指摘にもとづき、前期2年の一般教育課程を置く新制大学と、文理科と教育科を置いた国立複合大学を各都道府県に設置し、新制度への移行を推し進めた。
- わが国の研究大学は、実質的な理工科大学
- 文部科学省もまた同様に、国立大学政策の見直しを求められている。
それではご紹介します。
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はじめに
- わが国の高等教育のこの一世紀半、とりわけ戦後70年の高等教育の歴史の、大きな転換点になるかもしれない政策変更が、一片の大臣通知で一方的に、国家から自立性をかち得たはずの国立大学法人に押付けられることに、危惧の念を抱かずにはいられない。
- それは、戦後70年、いや明治以来の一世紀半、わが国の国立高等教育政策がたどってきた歴史の大転換を意味している。明確な手続きと慎重な検討にこだわるのはそのためである。
応用重視・基礎軽視
- 帝国大学は言うまでもなく、官立の専門学校群もまた、官僚・法律家・医師・技術者といった、実用的な人材育成に特化していたのである。法学以外の社会系、それに人文系の教育の機会を提供していたのは、慶応・早稲田をはじめとする私立の高等教育機関群であった。
教養主義の台頭
- 高等学校を大学予科から高等普通教育、すなわちそれ自体が完結的な「教養教育」の場へと転換させようとした大正期は、高等教育政策全体の大きな転換の時代でもあった。
- とはいえ、高等学校の実態もリベラルアーツには程遠く、女子の高等教育も含めて人文系の教育も、経済学・政治学などの社会系の教育も、私立大学・専門学校に大きく依存するという、国立・私立の棲み分け構造が、戦前期を通じて持続されたのである。
戦時体制下の受難
- 昭和期に入り、世界的な恐慌の時代を迎えて「知識階級」の失業問題が深刻化し、さらには日中から日米へと戦争が拡大して国家総動員が叫ばれるようになるとともに、ふたたび実用的な人材、それも理工系人材の養成重視への大きな揺り戻しが起こった。
人文教育のすすめ
- 敗戦後、再び大きな政策転換が起こる。人文社会系、とりわけ人文系重視の高等教育改革である。その大きな契機となったのは、1946年3月に来日した「米国教育使節団」の報告書である。
- 使節団のこうした指摘にもとづいて占領軍が主張し、戦時体制期への強い反省もあって、教育刷新委員会・文部省が受け入れたのが、前期2年の一般教育課程を置く4年制の「新制大学」制度の導入である。
- それだけでなく、とりわけ国立大学について、占領軍は「各都道府県に少なくとも国立複合大学1校」を設置し、そこに「文理科(リベラルアーツ)と教育科(エデュケーション)の学部」を置くことを求め、文部省もまた一県に一校、複数学部をもつ国立大学を設置し、「必ず教養(Liberal arts」及び教職に関する学部若しくは部をおく」ことを原則に、新制度への移行を推し進めた。
一県一国立大学
- 戦前期には帝国大学にしかなかった人文社会系の学部や教育課程を置く国立大学が、各県に一校、設置されることになったことの意義は大きい。それは国立セクターの高等教育の、明治以来の大転換であった。
国立大学の現実
- 国立大学の主要文系学部の設置数は、経済31、文・人文24,法17,それに教育39などとなっている。理系の工49,医40,理27、農25などと比べて多いとは言えないが、大きな変化といってよい。
- 入学者数でみると、国立大学の違った現実が見えてくる。約10万人の国立大学入学者のうち、人文系6%、社会系15%をあわせて21%、教育系16%をくわえても37%に過ぎない。国立大学は依然として圧倒的に理工系中心の大学群なのである。
- 北海道25,東北29,東京39,名古屋23,京都34,大阪42,九州22ーわが国を代表する7校の「研究大学」の入学定員に占める、文系の比率である。大阪大学の数字が突出して高いのは、大阪外国語大学の合併という特殊事情のためであり、旧帝大を継承したわが国の研究大学は、実質的な理工科大学といってよい。
- 世界の大学ランキングの上位に登場する欧米諸国の大学の多くが、人文社会系の教育研究重視で知られた大学でもあるのとは、大きな違いである。
さらなる理工科大学化か
- 国立大学入学者約10万人のうち人文社会系2.1万人、教育系1.6万人、あわせて3.7万人は、約50万人という大学入学者全体の7%に過ぎない。人文社会系のみなら、わずか4%である。地方分散的なその限られた文系の教育機会をさらに縮小し、理工科大学化をさらに進めることは、望ましい選択なのだろうか。いやそれ以前にどこまで熟慮された選択なのだろうか。
- 人社系の削減・切り捨てが画策されたのが、決戦体制下の非常事態のもとにおいてであり、そのことへの反省が、戦後の人文社会系の拡充政策につながったことも、忘れてはならないだろう。
むすび
- 短期間に作成と提出を命じられた「ミッションの再定義」をもとに、一片の大臣通知で国立大学全体の構造改革を指示するのでは、拙速の謗りを免れることはできない。
- ミッションの再定義を必要としているのは、文部科学省もまた同様に、国立大学政策の見直しを求められている。
- 必要とされているのは人口減少や社会経済的要請を理由に、アプリオリに縮小や廃止を想定し、その実施を各大学に迫ることではあるまい。
- 文部科学省自身がブループリントを用意すべく、長期的な展望のもとに慎重な検討を進めるべきではないのか。
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過去も現在も、国立大学は実質的な理工科大学だ、という指摘です。
本文に、米国教育使節団の日本の大学・専門学校についての指摘があります。これを最後に引用しておきましょう。
大概は普通教育を施す機会が余りに少なく、その専門化が余りに早くまた余りに狭すぎ、そして職業的色彩が余りに強すぎるように思われる。自由な思考をなすための一層多くの背景と、職業的訓練の基づくべき一層優れた基礎とを与えるために、さらに広大な人文学的態度を養成すべきである。この事は学生の将来の生活を豊かにし、そして彼の職業上の仕事が、人間社会の全般の姿の中に、どんな工合いに入っているかを了解させるであろう。
⇒第5回:文部科学大臣の通知と人文社会的教養を読む。
【目次】文系の危機―「IDE現代の高等教育」No.575 2015年11月号を読む
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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!
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