「教養」と「教養教育」(竹内 洋) 

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先日、村上義紀氏が「アドミニストレーターには教養が必要だ」とおっしゃったことについて報告しました。[前記事

教養とは

教養について、私の恩師である竹内 洋先生が、「『教養』と『教養教育』」という記事を書かれています。

すこし長くなりますが、引用します。

  • ヴィクトリア朝前半期の英国でこんな格言がはやった。「すべてについて何ごとかを知り、何ごとかについてすべての知る」(to know something of everything and everything of something)。
  • 経営者や経済学者が音楽や絵画、小説に詳しく、鑑賞力に優れているときに教養ある経営者や教養ある経済学者と言われる。
  • 教養があるということは、いたずらに何でも雑学的に少しずつ知っているディレッタントではないことも意味している。優れた専門家として生きることが前提となり、そのうえでどれだけ、専門以外の知見をもっているかが教養ある経営者であり、教養ある学者であり、教養人である。
  • 教養とは、前述の意味をもとにした「文化に関する、広い知識を身につけることによって養われる心の豊かさ・たしなみ」(『新明解国語辞典』)
  • 教養教育のカリキュラム開発は大事だが、それに劣らず、どのような人が教養教育を担当するかが大事
  • 民主政治は、興論に基づく政治(熟議デモクラシー)を旨としているが、そのためには、市民が群衆や大衆ではなく、判断力ある公衆として存在しなければならない。市民一人ひとりに判断力、つまり市民的教養がいる。専門知や生活知を含めた「実用知」だけでは不十分で、教養知による「総合知」が必要である。
  • 実用知はものごとを処理し、適応する知である。それに対して教養知は広い視野から吟味し、疑い、批判する知である。教養は当面の実用的価値から身を引き離す能力、今の仕事への没頭から超越した視点でものを見ることである。目先の具体的問題を超えて、一般的な意味や価値の領域に入り込むことができる知である。公衆=市民として必要な判断力は実用知ではなく教養知である。
  • 大学の教養教育のカリキュラムは、生涯教養教育の構想の中で位置づけられなければならない。大学をはじめとする学校教育の中での教養教育は、そこであれこれを知り、感じるだけでなく、生涯にわたって、総合知としての教養を目指す構えの取得を目標にしたものであるべきだろう。

「大学時報」第356号より)

生涯を通して学ぶ

あらためて要約してみます。

  • 教養を身につけると、広い視野から吟味し、疑い、批判できるようになる。
  • 市民として必要な判断力は実用知ではなく教養知である。
  • 大学での教養教育は、生涯にわたって教養を目指す構えの取得を目標にしたものであるべきである。

「実用知」流行りです。実学=就職を標榜している大学も多いように見受けられますが、この風潮には、個人的に違和感をずっと抱いていました。

「大学は就職予備校ではない」という類の違和感ではないのです。「社会に出てからも学び続け、課題解決型の人材になる」ためには、実用知だけでは不足だと強く感じるからです。

専門性(専門知)+教養(総合知)を併せ持つ人材が理想ですが、それらは一朝一夕に獲得できるものではありません。

学習社会となっている現在、生涯を通して勉強しようという意欲をもった人材を育成すべきだと考えます。

そして大学こそが、その使命を担っている場所なのです。

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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!

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