大学と産業の距離について 猪木武徳ー「IDE現代の高等教育」No.575 特集:文系の危機を読む(3)

「IDE現代の高等教育」No.575

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今回は「大学と産業の距離について」猪木武徳氏(青山学院大学特任教授/経済学)です。

述べられているポイントは、以下のとおりです。

  1. すでに日本は「工学」重視の国
  2. 英国では人文学と社会科学の教育と研究への配慮がなされている。
  3. 米国の社会的風土を考慮せず、大学の外的制度だけアメリカの真似をして張り合うことは何をもたらすか。
  4. 人文学・社会科学を教育研究体制の中に位置づけることができない現状は危機
  5. 近代日本は欧米の高等教育のスタイルの表層を移植した。
  6. 教養教育を中心に、社会人教育、実践的知識の鍛錬を一部取り入れることが正攻法
  7. 近年の日本の「大学改革」は大学と企業に貴重な反省の機会を与えている。

それではご紹介します。

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  • 20世紀の独裁国家は、経済成長に直接貢献しない一部の文学や芸術、あるいは体制批判的な社会科学を、「ブルジョア的だ」「退廃的だ」という理由で冷遇した。
  • 学部・大学院双方で、すでに日本は「工学」重視の国なのだ。

1.外国の実態を見極める

  • 「のれん」を大事にしつつ、経営を刷新しようという英国の大学の二枚腰の姿勢とバランス精神には学ぶところが多い。
  • 英国の場合、人文学と社会科学の教育と研究への「最低限」の配慮が確実になされている。
  • 米国には何より人材を集める強烈な地力がある。これは単に大学の磁力と言うよりも、政治・経済・社会のトータルな体制が作り上げている「地場」なのだ。
  • いまだに権威主義から抜け出せない日本の大学や大企業が、そうした米国の社会的風土を考慮せずに、「アメリカの大学では」と言って、大学の外的制度だけアメリカの真似をして張り合うことは何をもたらすのか。

2.全体を見渡すための人文学・社会科学

  • 科学技術は、すぐれた科学者や工学者の努力によって内輪の判断評価だけで進展する。したがって科学技術の発展に対して、その意味と妥当性を外部から批判的に考察する社会集団が必要なのだ。
  • 強調さるべきは、科学技術と人文学・社会科学のバランスの取れた教育と研究である。
  • いまに至ってまだ、「人間と社会」を問い直す人文学・社会科学を自国の教育研究体制の中に適切に位置づけることができない現状を「危機」と読んでも大袈裟ではなかろう。

3.自由な学芸とリベラリズムの伝統

  • 実践一辺倒の教育は学問への内発的関心の無い、「知識」はあるが「知識欲」の無い若者を生み出してしまう。
  • 近代日本は欧米の高等教育のスタイルの表層を移植した。それは西洋古典と引き離された形での近代西洋の移植であり、同時に日本にとっての古典教養の主要部分を占めてきた漢学や日本古典を切り捨てる形で進められてきたのだ。

4.大学の生き残る道

  • 古典を含む人文学や社会科学の遺産をよく学び、数学と哲学・言語(特に読解力と作文力)の訓練を通して、豊かな想像力をも育み、自らの考えをまず母語で正確に豊かに語る能力、説得力のある文章を書く力を養うことが、これからの大学の教養教育で重視されて然るべきだろう。そこにこそ大学の生き残る道がある。
  • 社会の変化に対応しつつ社会の要請に順応しながら、社会人教育、実践的知識の鍛錬も一部取り入れ、しかし大学本来の「自由学芸」を守り育てて行くという二枚腰の姿勢こそ正攻法だと考える。

5.産業と大学の適切な距離

  • 産業界の大学依存の体質も自省が求められよう。企業が人材の確保にエネルギーを注ぐのは当然だとしても、学生が学部4年生になると早々と就職活動に奔走、就職が内定すると直ちに内定先企業から「通信教育」の受講や「資格の取得」などを求められるという現状はいかがなものだろうか、これでは学生は、大学で自由に思考錯誤を繰り返しながら勉学に専念することはできまい。これは大学教育を軽視した自己本位な姿勢と言わざるを得ない。企業はすでに大学に、大学入試など人材選抜のコストの多くをシフトし、その結果を自己の目的に応じて利用している。しかしそこに私益は見られても、公益への十分な配慮を感じることはできない。
  • 産業界からの要望は、実用的知識の先端がどこにあるかを知る上で有益である。しかし先端は常に変化している。だからこそ大学が「変わらないもの」の探求の場であることを忘れてはなるまい。
  • 近年の日本の「大学改革論」は大学と企業に貴重な反省の機会を与えていることは確かだ。

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「教養教育を中心に、社会人教育、実践的知識の鍛錬を一部取り入れること」は高等教育の本来の役割であり意義だと思います。いずれ大学=専門教育というパラダイムが崩壊することはあるのでしょうか。

大学改革は大学と企業に貴重な反省の機会を与えている、という指摘にはまったく同感です。

「大学改革」にもっとも影響を与えた少子化への対応や、さらにグローバル化の進展ということがなければ、大学はおそらく従前のままであったであろうことは容易に想像できます。

外的環境の変化は、変わらない大学へのカンフル剤だったのでしょう。

 

⇒第4回:国立大学と文系学部を読む。

【目次】文系の危機―「IDE現代の高等教育」No.575 2015年11月号を読む

 

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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!

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