今回は「文部科学大臣の通知と人文社会的教養」石井洋二郎氏(東京大学理事・副学長/フランス文学・フランス文化)です。
主なポイントは以下のとおりです。
- なぜこのような通知が事前にチェックされなかったのか。文系切り捨てという批判を危惧する意見は省内で出なかったのだろうか。
- 大臣も補佐官も「文系軽視はしていない」ということであれば、誤解を招くような通知を出さなければ済む話
- 問題は、このような事態を招いた組織体制の構造的な欠陥であり、それを防ぐべき人々が文系の素養を欠いていることの事実
- 大学側も、人文社会系に期待されている「社会的要請」とは何であるかについて、分野を越えた議論を深めねばならない。
それではご紹介します。
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通知に対する反応
- 京都大学の山極寿一総長:「京大にとって人文社会系は重要だ」
- 滋賀大学の佐和隆光学長:「人文社会系の学識なくして批判精神なしなのだ。ゆえに全体主義国家は必ずや人文社会知を排斥するし、人文社会知を軽視する国家はおのずから全体主義国家に成り果てる」
- 朝日新聞への高校生の投書:「批判精神」の重要性を説く佐和氏の見解と呼応している。
- およその主張は、日本学術会議の「これからの大学のあり方―特に教員養成・人文社会科学系のあり方―に関する議論に寄せて」に集約されている。
- 不思議なのは、なぜこのような通知が事前にチェックされなかったのかということである。これでは文系切り捨てという批判を免れないのではないか、と危惧する意見は省内で出なかったのだろうか。
大臣インタヴューと補佐官の文章
- 日本経済新聞の下村博文文科大臣(当時)のインタヴューでは、「廃止」というのは教員免許の取得を義務付けない新課程(いわゆる「ゼロ免課程」)のことを指しているのだという。
- DIAMOND ONLINEの鈴木寛氏の文章では、「廃止」は「ゼロ免課程」のみが対象と説明している。
- 大臣も補佐官も口をそろえて「文系軽視はしない」と言うが、それならばはじめから誤解を招くような文言の通知を出さなければ済むだけの話である。
- 「省内で特別の会議を開いたわけでもなく」(鈴木氏)公表されてしまったのだとすれば、そのこと自体が大きな問題であろう。
文系的素養の重要さ
- 問題はあくまでも、このような事態を招いた組織体制の構造的な欠陥であり、何よりもそれを未然に防ぐべき立場にある人々が、残念ながら言葉の重みに対する感性や想像力を、すなわち文系的な素養を少なからず欠いていたという事実である。
- 今回の一連の騒ぎは、はからずも人文社会系の教養教育がいかに重要であるかを浮き彫りにするという皮肉な結果をもたらした。
- 大学側もこれまで十分に説明責任を果たしてこなかったという点は反省すべきであろう。
- 重要なのは、まず人文社会系の学問に対して期待されている「社会的要請」とは何であるのかについて、分野を越えた議論を深めることである。
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通知には「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学人については、(中略)組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むものとする」とあるが、それは「ゼロ免課程」を指しており、文系軽視はしていない、ということだそうです。
理解できない話ですので、意見の述べようがありません。
⇒第6回:文系の危機と教養教育を読む。
【目次】文系の危機―「IDE現代の高等教育」No.575 2015年11月号を読む
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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!
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