第Ⅱ章 一般教育②|市川昭午『未来形の大学』読書ノート(2)

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『未来形の大学』市川昭午著(玉川大学出版部)は名著である。

現在大学人が直面している問題について、数多くの示唆を与えてくれる。

読書ノートをご紹介しよう。

今回はⅡ章2.一般教育をどう解するか、である。

Ⅱ章 一般教育―知識階級の消滅と教養教育の衰亡

2.一般教育をどう解するか

普通教育は入学前に行うもの

  • 旧制高等学校では教養教育を表に出さなかったのに対し、新制大学では教養教育を正面に掲げるようになった。
  • この違いは、学制改革の結果、従来、大学教育の外部にあった普通教育を、大学教育の内部に位置づける必要から生まれた。
  • 19世紀以降の近代大学では、大学全体が専門教育の機関となった。
  • 戦前のわが国は基本的にヨーロッパの近代大学に倣い、大学を専門教育の機関とし、大学進学者のための高等普通教育は旧制の高等学校および大学予科が行うこととした。
  • これらの機関を高等教育に位置づけたのはヨーロッパ諸国と違っていたが、大学進学者のための準備教育を、大学とは別の機関で行うことにした点は共通していた。
  • アメリカでは一般教育を大学が前期課程として引き受けてきたが、これは独特の歴史的・社会的事情に起因する。19世紀当時のアメリカ中等教育機関が不備であり、前期課程を引き受けるには水準が低すぎた。さらに移民国家であるアメリカでは国民の社会的統一を図る必要性が大きく、市民教育の要請が強かった。
  • アメリカの大学が一般教育を切り離せないのは、私立はもとより州立も収入の基本を学生数に依存しているため、経営の安定性からいって前期課程を手放せないことのほか、いったんできあがった制度は惰性が働くため、なかなか改めることが難しいから。
  • 普通教育は本来、必ずしも大学で行われなければならないという性質のものではない。それゆえ、一般教育を大学教育として行うためには、そうしなければならない理由を説明する必要があった。
  • それには普通教育では根拠薄弱であり、どうしても教養教育を正面に出す必要があったと考えられる。というのも、教養教育であればヨーロッパでも大学教育の重要な課題とされているから。
  • 日本語の「教養」は「文化の享受を通しての人格の完成」という定義からも窺えるように、文化に関する広い学識ということになり、何となく高尚な感じを与える。そうしたことから、普通教育というより教養教育といった方が大学教育として受け入れられやすいと判断された。

一般教育概念の混乱

  • 新制大学では教養教育が正面に掲げられたものの、それはあくまでもフリル的存在にすぎず、実態は普通教育が中心であった。
  • この建て前と現実の違いが一般教育に関する理解を混乱させる原因となった。同じ一般教育という用語が、ある場合には教養教育を、別の場合には普通教育の意味で使われることになったから。
  • 一般教育を普通教育、教養教育のどちらにウェイトを置いて解するかは、学部のカリキュラム編成にとってきわめて重大な結果を招く。なぜなら、それによって一般教育のあり方が決定的に違ってくるから。
  • 普通教育を重視するのであれば、「多数の学問分野の中から、それぞれの学生の能力や関心に合わせて次第に専門分野を絞り、選択する機会を与えること」が一般教育の重要な任務となるし、「この点からすれば、当初から細分化された専門学部・学科別に入学させる選抜制度やクサビ型の履修課程」は望ましくないことになる。
  • 教養教育を中心に解するのであれば、「一般教育科目が専門教育に先立って低学年で教えられるべき根拠は何もなく、両者が4年間にわたって適宜に配合されて授けられるような形(たとえば一般教育科目を、はじめ比較的多く、高学年に進むにしたがって逓減させる、いわゆる楔形方式)こそ望ましい」ということになる。

自由教育と普通教育

  • 一般教育概念の混乱は、その理念や目標が実践とほとんど結びつかないという結果を招いた。
  • 一般教育の理念や目標について語る場合は狭義の教養教育に解させるのに対して、カリキュラムや授業分担など具体的な話になると普通教育を中心にして広義に解するのが普通だからである。
  • もともと一般教育はリベラル・エデュケーションと同義ではない。一般教育は20世紀になってアメリカで生まれたものであるのに対して、リベラル・エデュケーションはヨーロッパにおいて長い伝統を有する。一般教育は、自分自身を正当化するためにリベラル・エデュケーションを必要とした。
  • 一般教育という言葉がわが国で広く使われるようになったのは戦後の新制大学発足に伴う現象であり、アメリカのgeneral educationの訳語として普及したわけだが、アメリカ高等教育に詳しい舘昭によれば、general educationとは普通教育のことであり、それを一般教育と訳したのは誤訳で、一般教育と解したのは誤解だという。
  • しかし、この訳は「誤って」というよりは「意図的」なもの。
  • 米国教育使節団報告書の邦訳ではgeneral educationが「普通教育」と訳されていた。
  • それがまもなく一般教養という訳語に変わったのは、それによって普通教育とは違うような印象を与えることができるからであろう。
  • それは一般教育を初等中等教育から切り離し、大学教育の一環として理解させるのに都合が良かったから。

第Ⅱ章 一般教育①

未来形の大学 [高等教育シリーズ] (高等教育シリーズ)
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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!

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