はじめに
大手広告代理店での過労死が話題である。
ここでは、同社の行動規範である「鬼十則」、そのパロディ版「裏十則」をご紹介する。
そして、組織人として「生き続ける」ための柔軟な生き方について、筆者の意見を述べる。
鬼十則と裏十則
鬼十則
同社には“中興の祖”、4代目社長の故吉田秀雄氏によって1951年につくられた、同社の行動規範ともいえる「鬼十則」と呼ばれる有名な言葉がある。
パロディ版をつくった吉田 望氏も
「平明簡潔ながら営業の真髄をついた大変な社訓」
と評価しておられるほどのものである。
それではご紹介しよう。
- 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
- 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
- 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
- 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
- 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
- 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
- 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
- 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
- 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
- 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
さて、「裏十則」をご紹介しよう。
これは、かつて同社に在籍しておられた吉田 望氏がつくったものである。
- 仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
- 仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
- 大きな仕事と取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
- 難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
- 取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
- 周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
- 計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
- 自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
- 頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
- 摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。
吉田 望氏は、上記サイトの記事のなかで、こう述懐しておられる。
僕はこの鬼十則のパロディを裏十則という名前で1988年頃に作ったことがあるのです。僕が電通の「経営計画室」というところにいたときのことです。
だいたい、経営計画というような名がつく組織は次第に官僚的になっていくものです。今思えば電通という破天荒な会社にいながら、その中での官僚になってしまった己への自嘲があったのでしょう。
実は、すでに先輩の手による原型があったのです。でも僕がそれに手を入れて面白く改作したのです。
(我ながら秀逸なる諧謔精神が発揮されたパロディです)
こんな裏話もある。
上層部にこれがばれそうになったのだ。
こんな裏十則を経営計画室の人間が作ったということがばれては、それは当時の電通では大ごとになったでしょうが、幸いばれずにすみました。
そして、こうも述べておられる。
「鬼十則の精神を信じているのだがそれが失われた現状に慷慨」することが時々ある。
▼吉田氏の著書。これだけの諧謔精神がある方だけに良書にちがいない。さっそく読んでみよう。
まとめ
いかがだろうか。
筆者は「裏十則」に強く共感した。
だが、組織にはタテマエとしての「鬼十則」も必要であろう。
筆者は20代の頃通っていた、宣伝会議の「コピーライター養成講座」の講義でこの「鬼十則」を教わった。
当時の講師陣のお一人で、敬愛する大先輩ー別の広告代理店に勤務されていたーが、最近こうおっしゃっていたことが印象に残っている。
「裏十則を先輩が教えるような余裕が、企業にないのかもしれません」
と…。
人間には集中力の限度というものがある。
知能労働がそんなに長時間できるとは考えられない。
十分睡眠をとらないと生産性も上がらないのではないか。
たとえ猛者ぞろいの企業であっても、所詮人間であり、超人ではない。
どこかでしわ寄せが来るはずだ。
だからこそ、近年、ホワイトカラーの生産性向上が注目されているのではないか。
今回のことはーこの企業だけではなくー氷山の一角である可能性を否定できない。
もしそうであれば、
- 柔軟な世渡りを先輩が教えられるような職場環境づくり。
- それが望めないなら、一刻も早く退職すること。
が必要だと考える。
心身ともに健康であること。
これが人生でいちばん大事なことである。健康がすべてではないが、健康を失うとすべてを失ってしまうからである。
どうか第二・第三の被害者が出ることのないようにと、祈るばかりである。
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