教員のことに言及するのは気が引けるのですが、ガバナンスにもかかわってくる問題ですので、採り上げさせていただいた次第です。
こちらの記事ですが、今回も辛口の内容です。
日本に文系学部が必要か? 純丘曜彰(大阪芸術大学教授)
問題点はこうです。
大学の自律自治以前に、文系ポストは大手有力学会の世襲天下りシステムに外部支配されてしまっており、このために、似たり寄ったりの「駅弁大学」だらけとなり、新規研究と若手育成を阻害してしまっている。
本文によれば、文系学部の現状は、
- 2,374学部(2008年度)
- 法学・経済学系を除くいわゆる文系は、およそ700学部
- 正体不明のキラキラ学部や、心理学・教育学・社会学部も除くと、狭義の文系(文学・人文学・文化学・語学)はおよそ300学部
- 教員数(助教・助手を含む)は約2万3千名
だそうです。
学会による外部支配の弊害について、
大学ごとのガバナンスを強化して特徴を出そうにも、だれも学長の言うことなんか聞きゃしない。学長にしたって、全国規模の学会閥と対立したら、文系人事が成り立たなくなってしまう。
と指摘しておられます。
そして著者は、こうご自身の主張を述べておられます。
本来の意味でのヒューマニズム(人間性)研究としての人文学が大学で必要でないわけがない。だが、現状のまま、屁理屈のみで世間を煙に巻き、旧態依然たる文系学部の仲間内だけの人事利権を守ろうとするのが正義足りえないことも、真理学究の大学人なら、だれもみなわかっているはずだ。自分たち自身で正していく気概がなければ、外から力で潰されるだけだぞ。広き門は滅びの道だ。
研究費よりなにより、職業としての研究者が成り立つためには、安定した地位と収入が保証された常勤ポストこそ、最大で最重要の研究資源。にもかかわらず、無駄な重複だらけ、喫緊の欠落だらけのポスト分配。個々の大学の自律自治は当然ながら、大学を越える総合的調整期間こそが早急に必要だ。具体的な個々の教員の採用と昇格の人事権を、学部や学科に丸投げせず、理事会が直接に握ってチェックすること。大学とアカデミズムの自律自治を外部から蝕む学会閥を排除し、旧来分野を大学間融通で適正教員数に抑え、それによってむしろ新規の分野にポストを開き、引き上げる先人のいない挑戦的な新分野の若手を各大学で分担して迎え育てる人事システムを作っていくこと。日本の大学が、そして、世界の大学が連携して知に総合的に挑む大学の理想と理念を忘れれば、大学が大学たりえないことを、大学人として、もう一度、しっかりと思い出そう。
この問題は文系学部だけの問題ではないようにも思いますが、ここで言うところの狭義の文系学部でその傾向が強いのでしょうか。
物事には2面性があります。これまでの方法にもメリットがある(あった)はずですので、そういう意見も聞いた上でなければ公平な判断ができないと考えます。
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