第Ⅱ章 一般教育③|市川昭午『未来形の大学』読書ノート(2)

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『未来形の大学』市川昭午著(玉川大学出版部)は名著である。

現在大学人が直面している問題について、数多くの示唆を与えてくれる。

読書ノートをご紹介しよう。

今回はⅡ章3.一般教育の成立と空洞化、である。

Ⅱ章 一般教育―知識階級の消滅と教養教育の衰亡

3.一般教育の成立と空洞化

高等普通教育から一般教育等へ

  • わが国の大学で一般教育が必要となったのは、アメリカ占領軍の指導により旧学制から新学制への切り替えが行われたから。
  • 第一次対日米国教育使節団報告書はわが国の高等教育について職業的専門教育への偏重を改め、一般教育を重視するよう勧告。
  • これらは、高等教育に対する批判として必ずしも当を得ていない。
  • 専門教育偏重の是正策として一般教養が必要だというのであれば、その中身は教養教育よりは普通教育のはずだった。にもかかわらず、それがもっぱら教養教育の必要性として説かれたところに問題があった。
  • アメリカ的用語としてのリベラル・アーツは本来、職業教科に対する概念であり、専門教育に対する概念ではない。
  • リベラル・アーツにも専門はあるが、わが国の一般教育は専門教育に対する概念。
  • リベラル・アーツはカリキュラムの内容そのものだが、日本語の「教養」はカリキュラムとは離れた存在。
  • 米国教育使節団は、戦前のわが国高等教育が少数者の特権にとどまり、一般国民に開放されていなかったと批判。
  • この批判もまた当たっていない。アメリカの学部教育は半ば中等教育的なものだったし、ヨーロッパ諸国と比べれば日本の高等教育の方がはるかに大衆化していた。
  • 一般教育はリベラル・エデュケーションの現代版・大衆版と考えられた。
  • しかし、リベラル・エデュケーションは本来、富裕な家庭出身者を主要な対象とする選別と特権を伴うもの。
  • そうした性格を有するリベラル・エデュケーションがそう簡単に大衆教育に転換できるものではなく、むしろエリート教育の崩壊とともに消滅していく運命にある。

幻想にとどまった教養教育

  • 新制大学における一般教育は狭義の教養教育と普通教育からなるが、教養教育はほとんど実現されることなく終わってしまった。
  • 教養教育の実施が不可能な4つの理由。
    (1)「教養」とは何かが不明。
    (2)教養教育の理念が安定していない。
    (3)教養教育の方法が確立されていない。
    (4)教養教育のあり方については、将来も合意を得られる可能性が乏しい。

大衆社会で教養教育は難しい

  • 教養教育が実現されなかったもう1つの原因は、それがあった方がましという程度のフリル的な存在であり、大衆化された大学教育にとってもはや必須のものではなくなっていること。
  • リベラル・エデュケーションは、歴史的に、主として政治的社会的指導性を発揮する地位を占める特権者のための高価な教育であった。したがって、大学が大衆化し、高い社会的地位との密接な関係が薄れるにつれて、教養教育はその社会的基盤を失っていった。その結果、今日の教養教育は抽象的な理念や目標としてのみ存在する。
  • 普遍化する大学教育にとって、教養教育は十分条件ではあっても必要条件ではない。
  • 教養教育が口にされるが実行されず、大学教育は選抜・成熟・技術の機能に限定された就職産業に堕している。その理由は、供給側からすれば教養教育は研究と両立させることが最も難しい領域だという点にある。需要者側からすれば教養教育に利用価値をみいだしてきた教養身分ともいうべき社会階層が消滅してしまったことに求められる。

 

第Ⅱ章 一般教育②

 

未来形の大学 [高等教育シリーズ] (高等教育シリーズ)
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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!

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