小島貴子氏が紹介されていたこの記事。男性社会の構造が見事に分析されています。
江戸時代から続くパワハラの側面が、日本の企業に受け継がれているとし、
上下関係と恋愛がセットになっているので、上司と部下はプラトニックであっても、恋愛関係のようなもので結ばれています。会社帰りにはみんなで飲みにいって、休みの日はみんなでゴルフにいって、社員旅行で海外に買春にいく……なんてことが、私の銀行員時代は当たり前のように行われていました。
男同士の、性的な香りを残しつつ暴力的な集団を築くことでしか、できないことがあるんですよ。工場の機械を何年も狂ったように正確に動かしつづけるとか、バブルに向かって全力で暴走していくとか。そこに女性が入ってきたら、統御が効かないんですよ。でも、こっちに染まってくれるような女性なら入れてやってもいい、というのが、いま「すべての女性が輝く社会」として進められていることですね。
そして、大半の男性の作動原理をこう分析しています。
構造の背後にあるのは、男性が“自分じゃないものになっている”ということです。男性に対するプレッシャーは女性と比べるとはるかに強いのですが、そうして負荷を感じるほど自分から乖離します。すると、今度は自分の感覚がわからなくなるので、自分の周りで発生している、より強い力にすり寄るだけになります。これが日本の大半の男性の作動原理です。
そして、力関係そのものが乖離の度合いによって決まります。強い人ほど、出世します。乖離するほど暴力を容赦なくふるえるようになるからです。ただ、以前の社会は露骨な暴力がまかりとおっていたけど、現代社会は隠蔽しながら暴力を振るわないといけません。それをうまくできる男性が、間接的暴力によるパワハラ×同性愛的な集団を統御して、さらに暴力をふるうようになる……つまりは、差別です。
その“自分自身でないもののフリ”をやめるには、
自分のなかの芸術的なもの、創造的なものを発揮させないと、人は生きている意味がないんですよ。男・女という分け方にしても、いろんなセグメントにしても、そうした人間の成長と創造性を阻害するためにあるものです。それを突破してください!
と述べています。
異論をお持ちの向きも多いと思いますが、私はすんなりと納得できました。
これが江戸時代から続く、そしてこれからも続く普遍の構造かということについては分かりません。
ひとつ言えるのは、いまはオールドエコノミーからニューエコノミーへの転換期です。それゆえ、このような高度成長期時代のマネジメントも通用している側面があるように感じます。今後は転換を余儀なくされるのではないでしょうか。
職場と家庭のほかにサードプレイス(第三の場所)を持つことは必要ですね。共通する趣味や関心をもつ仲間と交流できる場所。自分自身の成長と創造性を発揮できる場所。そういう場を持つことはとても大事なことだと考えます。
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