鳥飼玖美子:間違いだらけの英語教育論議|『新潮45』2016年6月号から(2)

スポンサードリンク

『新潮45』2016年6月号の特集は「亡国の教育改革」である。

今回は、鳥飼玖美子氏(言語コミュニケーション教育研究者)の「間違いだらけの英語教育論議」である。

鳥飼氏はここで、同誌のコピーを引用すれば、次のように述べている。

文法訳読から会話中心の英語教育へ。

一連の改革の結果、引き起こされたのは、中高大学生の読み書き能力、文法知識の著しい低下だった。

それではご紹介しよう。

間違いだらけの英語教育論議

  • 日本の英語教育が30年近く前から、オーラル・コミュニケーション中心に激変していることが、一般に殆ど知られていないのは驚くほどである。
  • 学校英語教育は「文法訳読ばかりで役に立たない」という思い込みが経済界でも親たちの間でもいまだに根強く、それが的外れな英語教育改革への要求となり、「グローバル人材育成」という名の圧力となって英語教育を歪めている。

昔と今の英語教育は違う

  • 中曽根康弘首相により 1984年に召集された臨時教育審議会が、経団連など経済界からの意向をふまえ、「文法・読解中心からコミュニケーション重視への転換」という英語教育の見直しを要請した。
  • それを受けて1989年には学習指導要領が改訂され、英語教育の目的は「コミュニケーション能力育成」にあると明記された。
  • 1993年からの学校英語教育はコミニュケーションに使える英語へと大転換した。
  • それでもさしたる成果は上がらず、オーラル・コミニュケーション重視の改革が行われているとは知らない世論がますます厳しく英語教育の改革を要求したことから、文科省は2003年から「『英語が使える日本人』育成のための行動計画」を実施し、小学校の「英語活動」必修化、センター入試へのリスニングテスト導入、公立学校の英語教員全員を対象にした研修等々、考えられる限りの大改革を断行した。
  • これら一連の改革への懸命な努力の結果として起きているのは、皮肉にも、中高大学生の読み書き能力の欠如と文法知識の貧困である。それでも話す力だけは伸びているかといえばそれもなく、要するに基礎力不足が顕著である。
  • 世の大人たちが、自分自身の受けた英語教育を基準に判断し「もっと会話をやらなければダメだ」と学校英語教育を批判することは、すでに「会話中心」になっているを英語教育を過度な「会話一辺倒」に追い詰めることになり、一昔前の学習者ほどの語彙力/文法力/読解力のない若者たちの英語力をさらに劣化させることに貢献してしまう。
  • 学校英語教育にもの申す場合は、自分がかつて受けた授業は脇へ置き、まずは最近の教科書を一読し、できたら実際の授業を見学してみてからにして欲しい。

最近の英語教育

【文法】

  • 一般社会で根強い「コミニュケーションに文法は役立たない、むしろ有害である」という思い込みが後押しして、1990年代からの英語教育で文法の影は薄い。
  • 文法というのは外国語の仕組みを知ることであり、その外国語を使えるようになる為に不可欠である。
  • 問題は、文法をどう分かりやすく教えるかである。

【読解】

  • 国境を越えて情報が行き交う現代こそ、英語を「読む力」そして「書く力」が求められる。
  • 読んで分からないことは聞いても分からない、読んで分からないことについて話すことはできない、という現実を考えれば、読解、すなわち英語を読むことは、発信能力(話すこと、書くこと)の出発点になる。これは中学高校でしっかり学ぶべき基礎力である。

【訳読】

  • 英語の授業といえば英文を読んで日本語に訳す指導方法が主流だった時代は、とっくに終わっている。
  • 今は〈訳毒〉と揶揄されるほど、日本語に訳す作業は排除されている。
  • ところが、海外の外国語教育研究者の間では、既に「訳読」の再評価が始まっており、母語を使用して外国語を学ぶことの意義と効果があらためて見直されている。
  • ぼんやりとしか把握できなかった英文も、母語である日本語に訳してみることで確実に理解できる。
  • 二つの異なる言語の間に横たわる越えがたい溝に気づくことにもなり、これこそが英語を異言語として学ぶ姿勢に繋がる。

【入試】

  • 「受験のせいで英語が話せない」という根拠のない思い込みも危うい。
  • 入試問題も一昔前とは様変わりしており、文法問題は全出題の1割にも満たない実態を認識しないと、大学入試改革の議論は誤った方向へ進んでしまう。
  • 近頃は、英語の基礎力のない入学者が増え、各大学とも補習を迫られている。そのような実情を把握してから、入試改革を論じるのが当然であろう。
  • 一発勝負の入試は不公平なので、TOEFLのように何回も受験できる外部試験で代替させるというのは、どこか議論のすり替えがあるように感じる。
  • インターネット形式で受験するTOEFL iBTのように高額な受験料と1回について4時間半もかかる難易度の高い試験をどう考えるのか。
  • 記述問題は採点が恣意的になりかねず、結局は「従来のようなマークシート式の筆記試験の方が客観的で透明性が高く公平だ」となるのではないか。
  • 完璧な試験は存在しないのだから、さまざまな制約をふまえ、現実的に実施可能であり、受験生にとって公平な入試を考える必要がある。
  • 大学入試は、各大学が描く教育目的を実現できるような入学者を確保する為に行うもので、それぞれの大学が責任をもって教育しようと独自の入試を実施することは、いわば大学の権利である。
  • 少子化で大学間競争がますます熾烈になる近い将来を思えば、入試方法を工夫しないような大学は、自然に淘汰されていくであろう。

グローバル人材育成

  • 経済同友会は2013年4月、三木谷浩史・楽天会長を委員長とする「教育改革による国際機構競争力強化プロジェクトチーム」が、「実用的な英語力を問う大学入試の実現を〜初等・中等教育の英語教育改革との接続と国際標準化〜」と題した提言を発表した。
  • 「グローバル人材育成戦略」とは、要するに「英語力」のことである。
  • 「グローバル人材育成」政策を実現する手だてとして、「スーパーグローバルハイスクール」、「スーパーグローバル大学」という不思議な和製英語が冠された事業が、採択になった高校と大学で展開されているが、その内実も、「英語」主体である。
  • よく分からないまま、ただ英語での授業を聞いていれば英語力がつくというものではなく、英語による専門分野の講義を実施するには、英語教育との連動が必要になってくることは、もっと理解されてよい。
  • 本当に「グローバル」というなら、留学生を対象にした日本語教育の充実は欠かせない。英語で授業を受けたい留学生は英米に留学し、日本にやってくる留学生は日本について学ぶことを望んで来日するのであるから、その為の日本語力をつける支援を惜しむべきではない。

今後へ向けて

  • 今なすべきことは、「英会話力」という1つの方向へ向けてまっしぐらに改革されてきた英語教育を振り返り、この二十数年間にわたる「コミュニケーション中心の英語教育」を検証し総括すること。
  • 現状分析がないまま、その昔の英語教育が今も続いているという錯覚で思いつきの「抜本的改革」を求めるのは、英語教育を悪化させることになる。

まとめ

前回ご紹介した竹内洋氏の論稿で、同氏が述べていたことがここでも当てはまる。

すなわち「『世論の風見鶏』による改革であればこそ、移ろいやすい」のである。

欧米のESL(English as a Second Language)教育は優れていると聞く。

日本からも、語学留学を含む多くの留学生がこのシステム(国や機関によって多少異なるにしても)で学んでいる。

それほどよくできたこのメソッドをそのまま輸入して適用すればよい、というのは暴論になるのであろうか。

いずれにせよ、世論や産業界の意見に右顧左眄しない、信頼できるリーダーによる導きが強く望まれる。

The following two tabs change content below.
大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!

スポンサードリンク