竹内洋:「教育改革」はなぜいつも失敗するのか|『新潮45』2016年6月号から

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『新潮45』2016年6月号の特集は「亡国の教育改革」である。

その冒頭が竹内洋氏(関西大学東京センター長・社会学者)の論稿である。

竹内氏はここで、

われわれが教育改革を「浮世の憂さのはらし所」にしたがることに病の巣があり、理想論のタテマエではなく、緻密で繊細な議論と、地道な改善の道が必要である。

と示唆している。

それではご紹介しよう。

「教育改革」はなぜいつも失敗するのか

教育改革の特徴

  • 内閣が変わると教育改革案が出されるのは、教育改革は誰にでもわかりやすく、世の中が変わるという期待感をもたせやすいから。
  • 期待を抱かせながらも結果としては期待外れになることが多い。

共通一次試験

  • これで受験戦争がなくなり、学歴社会が崩壊するかのような幻想を抱かせながら導入された。
  • しかし、受験地獄はなくならなかったどころか、むしろ結果は反対に。
  • 受験地獄の部分的解消は、少子化という人口構造の変動によるもので、共通一次やその後釜の「大学入試センター試験」などによるものではないことは今では誰の目にも明らか。

人材確保法

  • 教員給与を一般公務員より三割増にして教員によい人材を確保するという目論見からの法律だった。
  • インセンティブは給与だから、それで教員としてよい人材が集まったのかは、わからない。まして、それが教育の質を向上させたかは調べにくい。
  • さらに、給与アップは一時的で、時間がたつと一般公務員と教員の給与差はほぼなくなってしまった。

 

  • 教育改革は、経済改革などとはずいぶん異なった奇妙な性質をもった「改革」。
  • 「個性を伸ばす」や「生きる力」などのように、目標は抽象的、理念的。
  • 評価にいたっては、きわめて難しい。新しい学校教育で育った子どもが大人になってからでないと本当の効果がわからないものも多い。そんな長期間であれば、学校教育以外のさまざまな要因も介在する。効果は学校教育のせいなのか、家庭のせいなのか、経済状態によるものなのか。ますますわからない。

一期校・二期校が廃止された理由

  • 一気に導入への引き金になったのは、1972年の連合赤軍によるあさま山荘事件。
  • 連合赤軍のメンバーには、横浜国大出身者が多かった。
  • ある国立大学学長が参考人として国会に呼ばれた。この学長はその原因が「二期校コンプレックス」にあるとした。
  • かくて連合赤軍事件のようなことをおこす遠因は、国立大学の一期校・二期校制度にあるとされ、当時の文部大臣奥野誠亮は、文部事務局に一体化入試を至急実現するように指示し、区分けが撤廃されることになった。
  • 一期校と二期校の区分を廃止したから過激派の活動が鎮静したと、今では誰も思わない。
  • 連合赤軍事件そのものが過激派の末路をリアルに現前させたことによって、革新ラジカリズムへの幻滅が広まったことが大きな原因。
  • 「二期校コンプレックス」が連合赤軍事件を起こすというのは「風が吹けば桶屋が儲かる」式因果関係にすぎない。

「ゆとり教育」という「勉

  • 「世論の風見鶏」式改革。
  • ゆとり教育という教育改革は、70年代の激しい大衆受験競争を鎮静しなければならないという世論に同調したもの。
  • 世論はゆとり教育推進の急先鋒だった。こうした世論に同調して、「ゆとり教育」という「勉」が選ばれた。
  • 教育政策が「世論の風見鶏」になりやすいひとつの理由は、改革の担い手たる文部(科学)省官僚が専門知識を権力資源とするには不十分だから。
  • 教育の理論といっても、教育学はほとんど素人学問である。文部官僚は行政官僚(テクノクラート)としては専門技術知の基盤が弱体だから、他の省庁以上に官邸などの時の政治権力の意向に支配されやすい。逆にそうであればこそ、世論の風見鶏になることで普遍性と公共性を担保し、自らの弱い基盤を補填する権力資源にしやすい。
  • しかし「世論の風見鶏」による改革であればこそ、移ろいやすい。
  • 2004年に発表されたOECDによる学習到達度調査(PISA)の結果では、日本の生徒の学力は前回に比べて軒並み下がった。
  • 「PISAショック」といわれ、ゆとり教育からの政策転換が決定的になった。
  • しかし、そもそも学力の国別順位が下がっただけで低学力といえるのか、ゆとり教育が本当に低学力の原因であるのかどうか。ゆとり教育と学力低下に因果関係を認めない研究もあり、その関連性は確証されたとはいいがたい。

無責任の体制

検証への取組さえみられない教科書問題

  • 教科書論争者は、左派であれ右派であれ、教科書に書かれてあることが生徒に確実に浸透し、かれらの考え方や生き方に大きな影響をもたらすと、はなから前提にしている。
  • 教科書論争は激しくとも教科書自体の生徒への影響がどのようなものであるかについて関心を払われることは少ない。こうした中での教科書論争は知識人や政治家がかれらの間だけで信念と面子の闘争をしているということになる。

教育改革の効果が失敗とわかってしまった法科大学院

  • この政策を推進した人たちが責任をとった形跡はみられない。
  • 教育改革が「無責任の体制」でもあることを象徴する事例。

病の根はどこに?

  • われわれは社会や時代への漠然とした不安や不満を抱きやすい。そして、そのよってきたるところを教育に帰属させるぶん解決策として教育改革を求めやすい。
  • 教育改革は、社会システム改革では解決できそうもない残余を引き受けるごみ箱。
  • 教育改革は結果よりも、改革そのものによる人々へのカタルシス効果が目的とさえいえる。
  • 教育改革は、すべて世は事もなしに導く神だけに、緻密で繊細な議論を封じ、理想論のタテマエになりやすく、地道な改善の道を逸らせることにもなる。
  • われわれが教育改革を「浮世の憂さのはらし所」にしたがることに病の根がある。

まとめ

「世論の風見鶏」といえば、産業界からの要請についても再考してみる必要があるのではないか。

経済団体から大学への要請などを見ると(率直にいわせていただいて)、目新しいものはなく、その旧態依然とした考え方に首をかしげざるを得ない。

たとえば、シリコンバレーの企業とスタンフォード大学との関係などであれば、最先端企業のフィードバックも大学には有益であろう。

未だ産業構造の転換が完了していないわが国の産業界の意見を、そのまま鵜呑みにすることには疑問が残るのである。

いずれにしても、元来優秀で勤勉な国民のための教育制度がこのようなことでは勿体ないことである。

「社会や時代への不安や不満」をはらすのではなく、それらを前向きに解決するための教育をこそ、あらためて考えなおしてみる必要がありそうだ。

 

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大学職員ブロガーです。テーマは「大学職員のインプットとアウトプット」です。【経歴】 大学卒業後、関西にある私立大学へ奉職し、41年間勤めました。 退職後も、大学職員の自己啓発や勉強のお手伝いをし、未来に希望のもてる大学職員を増やすことができればいいなと考えています。【趣味】読書・音楽(主にジャズとクラシック)・旅 【信条】 健康第一であと10年!

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