梅光学院で何が起こっているのか
下関市にある開学100周年を迎えたという梅光学院。
理事長の退任要求が出ているそうだが、以下の記事を読んで深く考えさせられた。
山口新聞/ニュース
山口新聞の報道に対して:梅光学院の再生と持続的発展を実現するために学院が取り組んでいる改革へのご理解をお願い申し上げます。 | 梅光学院大学
梅光学院騒動の真相に迫る なぜ14人の教師は辞めたのか
穏やかな場作りを
関係者ではもちろんなく、これらの報道以外に情報をもたない身としては、このことについての是非を述べることは差し控えねばなるまい。
ただ、私立学校の末席に連なるひとりの人間として、学校法人のガバナンスについての個人的意見を述べることは許されるだろう。
人は感情の生き物である。
どんなに正しいことであっても、感情が動かねば納得もしないし、行動も起こさない。情動が人を動かすのだ。
「やらされ感」が人に強いストレスを与える。
たとえ表面上は納得しているように見えても、それはいわゆる面従腹背状態である可能性も高い。
おたがいが真心と真心をもって向かい合い、駆け引きなしで心を開いて話し合うことのできるオープン・マインドな雰囲気。
そういった「穏やかな場づくり」に成功している組織が、世の中のためになり、従業員が幸せになり、そして―営利企業の場合だが―圧倒的な利益を出すことができるのではないか。
それを率先して行うのが経営者ではないか、というと言葉が過ぎるだろうか。
しかし、すくなくとも組織の宝である人材を強権的に従わせることだけは、絶対に避けねばならないことだと考える。
たとえそれが放漫経営によって既得権をもった人たちだとしても…。そういう状態を招いたことが、経営者の責任ではあるまいか。
それを、それまでとは180度異なる方法で「改革」しようとすれば混乱が生じるのはむしろ当然のことだろう。
血の通ったガバナンスを
「大学の大倒産、合併・吸収時代」がすこしづつ近づいている。
人口動態と大学定員を見れば―残念ながら―誰にでも理解できる予測である。
今後は、このようなことが全国の大学で頻繁に起こりうることを否定できない。
「改革」はときに痛みを伴うものであり、血を流さねばならないという。
それは、構成員全員で痛みを感じ、血を流さねばならないという意味ではないか。一部の者だけが犠牲になることではないのではないか。
学校法人は今後、慎重なガバナンスを要求され、それは上記で述べたように、血の通ったものでならねばならないのではないか。これが筆者の主張である。
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