もう30年以上前のことになりますが、初めて宇沢弘文先生にお会いしました。
その頃勤め先の大学では、国内の著名な学者を招いて公開講演会を開催しており、私はその事務担当者でした。その年の講師が宇沢先生だったのです。
講演はたしか午後3時頃からだったと記憶していますが、1時間ほど前に先生はお越しになりました。
講師によっては新大阪駅までタクシーで往復の送迎をしたりすることもありましたが、事前の電話で「直接伺います」ということでしたので正門の前で待っていたのです。
お約束どおり走ってこられました。その身なりはというとランニングシャツに半パンツ、そして背中にはデイパック。噂には聞いていたものの出迎えた教職員は全員ビックリポンでした。
「どちらから走ってこられたのですか?」
と尋ねると、
「ここから10キロほどのところに友人がいるので、そこから走ってきました」
とのことでした。
今のようにナビもない時代に、不案内な大阪の街をよくお越しになれたなと感心したのでしたが、それよりももっと驚くことがあったのです。
それはノーベル経済学賞の候補に挙がるほど高名な学者であったにもかかわらず、終始笑顔で謙虚でいらっしゃったことです。アルバイトのおばさんに「スタイルいいですねぇ」などと言われても笑顔で返されていました。
いよいよ講演です。着替えを済まされ、ジャケットにズボンそして足元はスニーカーといういでたちで登壇され、よく通る声でケインズの「一般理論」(だったと思います)について朗々と講義されていました。さすがにこのときだけは、例年会場には顔を見せない教員も数多く聴講していました。
終了後、関係者で簡単なお茶会をしたのですが、そこでも終始丁寧に教員の質問に答えておられたのが印象的でした。
お見送りの際、私にも話す機会があったので、
「どうしてジョギングをお始めになったのですか?」
と尋ねると、
「東大紛争のときに自律神経失調症を患いまして、それで始めました」
とのお答えでした。
その頃『自動車の社会的費用』がベストセラーとなり、自動車に乗らないから走っているのだろう、と巷間伝えられていたように思っていた私は、このときその真の理由(かどうかは分かりませんが)を聞いたようで感動したのです。
坂口安吾の語学、三島由紀夫のボディビル、開高健の釣り、村上春樹のランニングと、著述に携わる人たちはそれぞれの鍛錬を行っていますが、宇沢先生にとってもランニングがご自身の精神の安定の源だったのかもしれません。
お出迎えしたときと同様、お帰りの際もランニングシャツに半パンツ姿の先生をスタッフ全員でお見送りしましたが、お帰りになったあとも何ともいえない清々しさを感じたのは私ひとりではなかったと思います。
「本当に偉い人は謙虚で偉そうにしない」。先生にお会いしたこの日、まだ20代だった自分の心にそのように刻印されたのです。
その先生も数年前に亡くなりました。晩年に執筆された日本経済新聞の「私の履歴書」を愛読していましたが、その中で晩年のご自身の心情を「至福の気分」と書かれていたのがせめてもの慰めでした。合掌。
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