文芸評論家の紀田順一郎氏がご自身のウェブサイトで、高校生への選挙教育について述べておられる。
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選挙教育に退屈する高校生
TVの「首都圏ネットワーク」で見たのだが、ある高校で選挙教育を受ける高校生が、授業がはじまると間もなく、二、三人が退屈のあまり居眠りをしてしまった。
教師が注意しても爆睡している。
やむなく無視して、選挙の意味やら年配者の中における若者の地位といった主題から説き起こし、いまの日本社会で何が問題になっているかということを、生徒のわずかな関心から引き出し、整理していく。たとえば「保育所の不足」とか「テロの蔓延」とか…。
こうして現代社会の諸問題を拾いあげ、一票の意味を理解させていくのだが、多くの生徒にとっては地獄の責め苦に等しいようだった。
何しろ新聞は読まない、TVもアニメしか見ない、スマホはゲームとメールだけという日常に、自らを国政選挙の有権者と位置づける自覚も、関心も、知識も生じない。
それがどのような原因によるものか、いわずとも明らかだろう。
現今の高校生はこのような環境とはほど遠い位置に存在している。
政治という生物が、日常の中で、隣り合わせに存在し、血肉となるような環境にいない。
それどころか、当局者によるそれこそ露骨な無関心への誘導や、偏向呼ばわりの介入もある。
考えてみるまでもなく、彼らもすでに戦争のセの字も知らないのだ。
まとめ
高校生の気持ちもわからないではない。
新聞の政治欄は主として永田町の動向記事であり、ウェブ・コンテンツは玉石混淆だ。
そのようなもので、政治を身近なものに感じることはできないだろう。
必要なことは、教育機関で、客観的で中立的な知識を教えることではないか。
上記ではその困難さが報告されているが、それでも、学校こそがその役目の多くを果たすべきではないだろうか。
問題意識を持ち、課題解決能力を身につける。
課題解決能力を身につける教育が、いま必要とされているのではなかったか。
そんなことを感じたのだった。
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