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はじめに
国立大学をめぐる昨今の動きについて、国立大学学長の意見を知りたいと思っておられる人も多いかもしれません。
『中央公論』2月号では、「国立大学文系不要論」という特集が組まれており、そのなかで国立大学学長へのアンケート回答結果が掲載されています。
この特集は、冒頭の竹内 洋氏によるアンケート結果の分析に始まり、佐和隆光氏、エドワード・ヴィッカーズ氏、猪木武徳氏の論考、そして最後には文部科学大臣のインタビューと盛りだくさんの内容となっています。
とりわけ上記のアンケートは、時宜を得た企画だと感じました。関心をお持ちの向きは、ぜひ本書をお読みください。
今回は竹内 洋氏の「一“省”功成りて万骨枯る 学長アンケートにみる大学の悲鳴」をご紹介します。
特集:国立大学文系不要論 目次
目次はつぎのようになっています。
一“省”功成りて万骨枯る 学長アンケートにみる大学の悲鳴・・・竹内 洋
55国立大学 学長アンケート
「文科省・企業にこれだけは言いたい!」
◎世界水準でがんばる大学
◎特定分野でがんばる大学
◎地域貢献でがんばる大学
「世界」に認められたければ文系に集中投資せよ・・・佐和隆光
世界的趨勢としての人文社会科学危機・・・エドワード・ヴィッカーズ
実学・虚学・権威主義―学問はどう「役に立つ」のか・・・猪木武徳
文部科学大臣インタビュー 「国公私立大学の枠を越えた統廃合も視野」・・・馳 浩
一“省”功成りて万骨枯る 学長アンケートにみる大学の悲鳴 京都大学名誉教授 竹内 洋
55国立大学学長アンケートは昨年(2015年)の11月初旬に実施されました。その回答結果について、竹内 洋氏が述べています。
質問項目
- 人文社会科学系軽視とも批判されている文部科学省の6月の通知をどう受け止めましたか。
- 近年、大学への運営費交付金を減らされる中で、予算配分が理系重視になる傾向にあります。これからの国立大学のあり方を考えるうえで、国立大学は理系を重視すべきでしょうか。文系はどうあるべきと思いますか。
- 少子化、財政難という状況下で、大学、学部の統廃合など、「集中と選択」を進めるべきであるという声もありますが、どうお考えになりますか。
また、貴大学は、この問題でどうあるべきと思いますか? - 学長は理系、文系、どちらがご専門ですか?理系の場合は文系科目、文系の場合は理系科目を勉強したことが、現在、役に立っていると思いますか。理由もお聞かせください。
- 文科省にこれだけは言いたい、ということがあればお書きください。
- 即戦力の学生を求める企業にこれだけは言いたい、ということがあればお書きください。
それでは、個人的に重要だと感じた箇所をまとめてご紹介します。
学長からの逆襲ブーメラン
文科大臣名通知をどう受け止めたかという[質問1]に対しては、
- 通知の対応に右往左往した現場の不満、怒りのようなものはみえない。
- 世界でも優秀といわれる日本の官僚は人文社会系学部出身が多いが、だとすれば、
人文・社会科学系で学んだことによって今の優秀な官僚が形成されているのではないか(鳴門教育大学)
(人文社会系軽視は)優れた政治家や官僚の育成にも悪影響を与える(総合研究大学院大学)
などは、逆襲のブーメラン効果というもの。
通知をめぐって波紋が広がったことにより、
一層、人文社会系学部の重要性が強調、認識された形になった。(東京学芸大学)
と意図せざる結果を指摘したものもあるが、そのとおり。
運営費交付金削減に対する悲鳴
- 文科省にこれだけは言いたいという[質問5]には、国立大学法人運営費交付金の減額への悲鳴が聞こえる。規模の利益を得られない地方国立大学に危機を訴えるものが多い。
- 大学政策が「短期的政策」であり、「中長期的な視野」による構想をしてほしいという要望が多い。
財政措置による誘導で、対症療法的な個別政策が次々の打ち出され悪循環に陥ってきた(東北大学)
という指摘は、ビジネス的大学改革に対する違和感の率直な表明。
- 即戦力を求める企業についての[質問6]について、経済界の人材要請が経済団体の公式見解である「総論」と、採用担当者レベルの「各論」が異なることに、産業界が期待する教育と人材像の曖昧さの原因がある。そう考えると、文科省通知に対する経団連の声明の趣旨は、はたして採用担当者などの現場のものになっているのだろうか。
自ら存在意義を掘り崩す文科省
[質問5]と[質問6]について「特になし」や空欄が結構ある。
- ビジネス的大学改革の勢いをとめることができない、今や何を言っても無駄という諦念のあらわれにも見える。矢継ぎ早の大学改革の帰結がこれだとしたら・・・。「手術(大学改革)は成功したが患者は死んだ(大学人のモラル・ハザード)」ということにならないか。これまでの大学改革そのものの功罪評価をしなければならないときにいたっている。
各省庁は、他省庁では代替不可能な象徴資源(経済や環境、健康、文化など)をウリにすることで正当化の根拠にするもの。ところが今の文科省発の大学改革は、ビジネスの時間意識と論理によって教育と研究を蝕んでいくものであるようにみえる。文科省は省庁としての差異化による正当化をみずから手放しているとしか思えない。
教育の時間意識と論理の側に身を置いて、ビジネスの時間意識や論理にもとづく教育界への圧力を掣肘し、落としどころをつくるのが文科省の存在理由を示す切り札になるはずなのに、である。
まとめ
- 「手術(大学改革)は成功したが患者は死んだ(大学人のモラル・ハザード)」
- 大学改革は、ビジネスの時間意識と論理によってなされている。
竹内氏が最近よく使っておられる喩えです。
また、
- これまでの大学改革そのものの功罪評価をしなければならない
ということも述べておられます。
養成する人材像について、経済界の意見を聞く場合には(あくまでわかりやすい例を挙げますが)国内ではユニクロや楽天など、国外ではApple、Google、Facebook、Amazonといったトップランナーからも聞くべきではないでしょうか。上記の経済団体とはずいぶん違った意見が出されるかもしれません。そして、それこそがグローバル企業が求める人材像であり、これからの時代に必要とされる人材です。
議論のスタートはそこから始まる、と考えます。
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