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はじめに
『IDE現代の高等教育』2018年11月号(No.605)の特集は「大学教育改革の現段階」。
巻頭論文は金子元久氏(筑波大学特命教授)の「大学教育改革の現段階」である。
これを読めば、
- 大学教育改革の現段階
- なぜ改革が学生の学修行動と結びつかないのか
- 大学が克服すべき課題
について、あらためて考える契機になる。
筆者が重要だと感じたことを、以下ご紹介しよう。
結論:大学教育改革を実現するためには
金子氏は冒頭、以下のように述べておられる。
日本の高等教育の宿痾であった大学の質的貧困が、具体的に対処されなければならない問題として意識されるようになったのは2000年代に入ってからである。
それまでは意識すらされていなかったのである。
「改革疲れ」と言われるが、金子氏の指摘を読めば、まだ教育改革の「本丸」には本格的に入っていないことを痛感する。
ここでは一足飛びに、結論をご紹介しておこう。
以下にご紹介する課題を解決するためには、
- 一部の教員だけでなく、教育に力を入れる教員が一定の規模に達すること。
- 真に効果的な授業法が普及すること。
政策の役割として、
- 学生の学修行動についての客観的な把握。
- 学修状況の把握とその情報公開の推進。
が必要だと金子氏は主張されている。
大学教育改革の現段階
大学教育改革10年後の変化
組織
- 大学組織の変化はまだ微弱にすぎない。
- 学長の目からすれば、大学教育は現実には個々の教員に任せられており、その結果として大学全体として必ずしも効果的な教育効果を達していない。
教員
■文科省『大学等におけるフルタイム換算データに関する調査(FTE調査)』2002年度、2015年度から推計。
- 日本の教員が教育よりも研究に時間をかけている。
- アメリカにおける大学教員の平均は、教育5.4時間、研究2.4時間、ほか2.2時間であり、教育に研究の2倍近くの時間をかけていることを考えれば、日本の大学教員の特質が際立っている。
授業
■2007年の東京大学教育学部大学政策研究センター(CRUMP)の全国学生調査(対象126大学、約4万5千人)
■2016年の国立教育政策研究所の全国調査
以上の調査からの指摘。
- 小テストなどは頻繁に行われているが、「提出物にコメントを付けて学生に返す」といった授業法はあまりとられておらず、〈ある程度あった〉を含めても3割程度が経験しているに過ぎない。
- 統計的に分析してみると、学生の自律的学修時間との関連の強さは、普及率とは逆の順序になり、提出物へのコメントが最も効果が大きい。
- より効果的な授業法の普及が最も低い。
- 参加型授業、グループワークなどをとりいれる教員が増えつつあり、「グループワーク」を経験した学生は大きく拡大している。
学生の学修にはまだ結びついていない
- 日本の学生には、具体的な学修時間の変化が読み取れない。
- 一週間あたりの学修時間が5時間以下の学生が7割を占める、という状況に大きな変化が起こっているとは考えられない。
- アメリカの状況との大きな差は解消していない。
なぜ学生の学修行動に結びつくに至っていないのか
変化はまだ微弱にすぎない
- 大学組織の変化はまだ微弱にすぎない。
- 学長の意識の変化も、それが組織全体、さらに教職員に具体的な影響を与えていることを示すものではない。
- むしろ個々の教育が教員の裁量に任せられている傾向が根強いことを示す。
教員の教育にかける時間の変化はまだ小さい
- 教員が全体として変わり始めたというよりは、一部の教員が教育に労力をかけ始めたという可能性が高い。
- 一部の教員が、学生の側に多くの負担(予習、復習、課題に応じた調査、執筆)をかけさせようとしても、学生からは抵抗があるだけでなく、そうした授業が少数にとどまる限り、負担の少ない授業に逃避する学生が多くなる。変化が一定の規模に達しなければ効果が生じないのでは。
授業の改善の方向にも考えるべき点が
- 「取り込み」型の授業が、教室の外での学生の自律的な学修を必ずしももたらすわけではない。
- 「ペーパーにコメントをして返却する」というスタイルを経験した学生が、増えたといっても3割(〈よくあった〉は1割)にとどまっているのは、授業改革がそうした水準にはまだ達していないことを示している。
展望
- アメリカの大学が、学修を強要できるのは、それが当然だという通念が大学だけでなく社会全体で共有されているからである。
- 日本では大学教育は学生にとっては立身出世の手段であり、教員にとっては学術的な真理探求の副業に過ぎなかった。それを社会と企業がそれぞれの利害から利用してきたのである。その中では学生自身の学修に与えられる価値は少ない。
- 社会と知識が流動化し、多様化する中では、自律的な学修による知的鍛錬が若者の不可欠の資質の要件となる。そうした信念とそれを支える文化を大学が作り上げる、といういわば無謀な期待が今、かけられている。
大学自身が果たすべきこと
まだ克服すべき課題が多い
- 個々の授業をどのように計画的に配置し、教育上の目標を達成していくか、ということについての有効な改革が行われている例はまだ少ない。
- 「教育プログラム」の設定や、学部・学科をも超えて学内の教育機能全体を運営する組織、またその責任者の設定など具体的な課題は多い。
教員の意識・行動をどのように変えていくか
- 大学教育を通じて学生が何を達成するべきか、そのためには学生に何を課すべきか、について確立した理念をもっているわけでは必ずしもない。またそれを可能とするには時間や労力が必要である。
- インセンティブや条件をどのように整えるのかが問われる。
- 教員の間の協力が、大学の内外で発展することも重要。
政策の役割
- 学生の学修行動についての客観的な把握。
- 日本においても学修状況の把握とその情報公開を政策的に推進。
まとめ
金子氏の指摘には強い刺激を受けた。
授業が正しく行われていることが前提となっている論考が多いなかで、このような教育改革の本質を衝いたものは少ないからである。
大学職員も、金子氏の指摘をあらためて認識しておくべきであり、そのような考えのもとに政策を考えるべきだと考える。
一例を挙げれば、教員が教育・研究に専念できる環境づくりなどは、喫緊の課題ではなかろうか。「雑務」と「会議」からの解放は、教員の強い希望であるはずだからである。
誤植リスト
本文に、誤植と考えざるを得ない箇所が散見される。
筆者が気づいたのは、以下の箇所である。
それらを以下に指摘させていただくと同時に、「このほうが正しいのではないか」という個人的な注釈を付けておいた。
【注】左の「」内が原文。行はすべて上からの行数。
5p 右段 22行目
「効果的かつ効果的な」→「効果的な」あるいは「効果的かつ効率的な」?
6p 左段 17行目
「学術研究志向が」→「学術研究志向を」?
6p 右段 8〜9行目
「時間をかけていることあること考えれば」→「時間をかけていることを考えれば」
p7 左段 21行目
「2009年と2016年の調査結果」→「2007年と2016年の調査結果」?
同ページ下の図表3のことを指しているとすれば。
あるいは図表のクレジットが間違っている可能性もある。
p8 左段 8〜9行目
「さら分析を様子売るが」→「さらなる分析を要するが」?
p8 右欄 21行目
「当然ともいる」→「当然ともい(言)える」?
p9 右欄 18行目
「設定などが具体的な課題は多い。」→「設定など具体的な課題は多い」?
p9 右欄 24行目
「分野の知識学生に」→「分野の知識を学生に」
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